カプセル建築の系譜
1979 カプセル・イン大阪
1979 カプセル・イン大阪
黒川紀章が設計した日本発祥のカプセルホテルは、シティホテルやビジネスホテルに次ぐ第3の宿泊形態として位置付けられる。睡眠とくつろぎに特化した機能的な狭小空間は当時の日本の時代背景および実用性と効率性から生まれた。カプセルベッドには寝具のほか、手が届く範囲に時計、ラジオ、テレビ、照明が埋め込まれたが、現在ではWi-Fiのコンセントや空調機器に置き換わった。施錠はできず、話し声や物音が周囲に漏れる設計であるため、インバウンド旅行者には使用上のマナーが求められる。その未来的で革新的な構成は海外でも受け入れられ、ポッド(小型の部屋)ホテルの普及に一役を買っている。
カプセルベッドを製作したコトブキのカタログ
オープン当時の内装
オープン当時のカプセル内装のイラスト
カプセル・イン大阪について
茂木愛子(黒川紀章建築都市設計事務所)
ビルの1階のサウナのレストランと、上部階のスリープカプセルを設計監理しました。サウナ客がごろ寝をする休憩スペースでサラリーマンが夜明かしするので、少し高級感を感じさせる宿泊施設を作ろうと考えたものです。発案はニュージャパン観光の当時の社長の中野幸雄氏と常務の見達和男氏でした。法的にはカプセルベットは個室ではなく、2段ベッドの大部屋として簡易宿所にあたります。部屋全体のスプリンクラー等防災設備を考慮しました。当初のスタンダードタイプのカプセルベッドにて宿泊客が寝たばこでボヤ火事を起こしました。大事にはならなかったようですが、建築指導課や消防との協議により、その後は準不燃以上のサイドタイプのカプセルを設置しました。両タイプとも黒川紀章の設計と考えて良いと思います。改装では構造柱や梁のずれや鉄筋を修復して現在に至ります。
入口がカプセルの短辺にあるスタンダードタイプ
入口がカプセルの長辺にあるサイドオープンタイプ
カプセル・イン大阪宿泊レポート
石間克弥
現店長の本多氏へのインタビューを兼ねて、宿泊させて頂いた。カプセル・イン大阪の1~2階がサウナ兼温泉施設、3~5階がカプセルホテルである。男性限定の施設であるため、「男の園」といった雰囲気であった。当日の宿泊客57人のうち、3階のデラックスに10人、4階のスーペリアに11人、スリープカプセルに36人が利用した。私が泊まった3147号カプセルの周辺は満室だったが、宿泊客の寝息が聞こえるほどもの静かであった。カプセルベッドは極小空間ながら寝具をはじめ、手が届く範囲に時計、ラジオ、テレビが備わっている。テレビは現在外枠だけが残され使用できない。私が宿泊した3147号のカプセルには当時と変わらずストライプのブラインドが使われ、それを下ろすと自分だけの空間が完成する。開店当時のパンフレットにはキャッチフレーズ「眠りのファッション、プライベート・スペース」とあるが、まさに眠ることに集中できる個室カプセルであった。近隣の住人が宿泊に来る、地域に根付いたカプセルホテルだと感じた。黒川紀章のカプセル建築に宿泊できるのはカプセル・イン大阪だけであろう。大阪に行く機会がある男性は、一度宿泊してみてはいかがだろうか。
3147号カプセルの入り口
カプセル内装(撮影:石間克弥)
建築データ
設計:黒川紀章建築都市設計事務所(後藤隆義、茂木愛子)
所在地:大阪府
施工:コトブキシーティング
カプセル製作:大丸装工部
設計:1977年10月–1978年10月
施工期間:1978年10月–1979年2月
カプセル構造:FRP
カプセル数:410床
開業日:1979年2月1日
⟶ カプセル・イン大阪インタビュー 本多眞一氏に聞く
⟶ カプセルホテルの歴史
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⟶ 2014 ナインアワーズ成田空港
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