カプセル建築の系譜

1972 中銀カプセルタワービル

1972 中銀カプセルタワービル

大阪万博にてカプセル建築を見た渡辺酉蔵氏が黒川紀章に設計を依頼した集合住宅は、メタボリズムの記念碑的な作品となった。渡辺氏は1957年から貸ビル事業会社を営み、都市の人口増加に対応する高層化住宅に着目していた。1961年に地名の中央区銀座から「なかぎん」を名前に入れた中銀マンシオン株式会社(現 中銀インテグレーション株式会社)を設立し、「中銀カプセルタワービル」を1972年に竣工した。

黒川は「ホモ・モーベンス」という新しい都市生活者層のビジネスマンが、極小空間であるカプセル「都市のセカンドハウス」として利用することを期待した。大阪万博で未来の住宅として展示したカプセル建築は、ついに不動産市場において販売の日を迎えた。以降、黒川がカプセル建築として提示した新たなライフスタイルは、日本のみならず各国で今なお議論されている。

最もオリジナルに近い状態が保たれているカプセル 電話中です ベッドの大きさを再現するため寝てみました 直径1.3mの丸窓
中銀カプセルタワービル

3つの機能
マンション機能・ホテル機能・オフィス機能。マンションとして管理されながら、ホテル機能をも併せ持つ。ビジネスカプセルとして、電話応対、タイプライター、ゼロックスなど複写サービスや、小型計算機等の貸出しなどのセクレタリーサービスがあった。
ビジネスカプセルの用途
ビジネスマンの都心の基地として/会社、官庁、組合等の東京連絡所として/オフィスとして/書斎として/ホテル代わりの宿泊又は、待合わせ場所として/顧客用の宿泊場所として/グループのミーティングルームとして/夜業の多いサバーバン社員(郊外居住者)用のビジネス目的のマンシオンとして/その他都心の別荘ルームとして

鈴木研究室、中銀カプセルタワービル見学会(2019年5月15日)

建築データ
担当:阿部暢夫、上田憲二郎、下沢康二、茂木愛子、内田一憲(設備部)、海老沢元孝(設備部)、坂口洋三(設備部) 
所在地:東京都中央区銀座8丁目
建築設計:黒川紀章建築都市設計事務所
構造設計:松井源吾+ORS事務所
電気設備設計:電気設備計画研究所
防災計画:星野研究所
施工:大成建設、カプセル制作:大丸装工部
敷地面積:441.89㎡、建築面積:429.51㎡、延床面積:3091.23㎡
階数:地下1階、地上11階および13階
構造:鉄骨鉄筋コンクリート造、一部鉄骨造地下1階、地上11階及び13階、室数(カプセル数)140室
設計期間:1970年8月–12月
施工期間:1971年4月5日–1972年4月
カプセル数:140個
カプセル寸法:W2500xD4000xH2500
外径寸法:4.0×2.5×2.62=38.73㎥
ユニット面積:10㎡、内容積:6.02×2.26×2.20=29.94㎥
主構造:軽量鉄骨全溶接トラス箱
外板:ボンデ鋼板1.2 防錆塗料焼付け・ケニテックス吹付け
耐火被覆:石綿吹付け
窓:丸型径1300 スチール枠はめ殺し(ボルト止め)非常用進入口にかわる部分は内開き、延焼の恐れのある部分は網入ガラス
出入口:スチールフラッシュドア(マジックアイ付)
床:ALC板敷 PPフェルト貼り(スーパーデラックスタイプは絨毯敷き)
壁:GL+31m未満・難燃ベニヤ 下地防火クロス貼り(C級) GL+31m以上・石膏ボード下地、防火クロス張り(C級)
天井:壁と同様、天井灯、煙感知器付
収納家具部分:化粧合板フラッシュ
フロアベッド:ウレタンフォーム芯マット
下部引出し500×600×140×4
バスルーム:FRP一体成型

カプセル建築の系譜 1973 カプセルハウスK

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