カプセル建築の系譜
カプセルホテルの歴史
カプセルホテルの歴史
杉原有紀2008年にアメリカ人の学生が、「カプセルホテルのようなコンパクトな住宅を設計したが、自分の大学では棺桶だと揶揄されて受け入れてもらえない」と言って、建築と家具の中間領域を得意とする我が社ATELIER OPAへインターンに来た。日本の超高密度都市ではごく当たり前の空間が、国土の広いアメリカではとても珍しい存在だと聞いて面白いと思った。彼は神田のカプセルホテルに嬉々として泊まった。私自身は宿泊の経験こそ無かったなかったが、その存在には馴染みがあった。1980年代の子供時代に、秋葉原駅の昭和通り口にカプセルホテルの広告を見ていたからだ。女性のイラストと「あらあなた、無理に帰ってこなくていいじゃない。経済的に泊まれて便利!」というセリフが描いてあった。どんな場所かと両親に尋ねると、狭いけれども機能的で安いホテルという答えが返ってきた。今はあちこちにいろいろなカプセルホテルがある。これらのルーツを建築家の黒川紀章が手掛けていたとは知らなかった。カプセルホテルの歴史を振り返ってみよう。
大阪でサウナやキャバレーを経営し、1970年の大阪万博のブースで輸入品を販売していたニュージャパン観光の中野幸雄氏が、黒川紀章による空中テーマ館の「カプセル住宅」を見て、「サウナのフロアで雑魚寝をしていた宿泊客に、もっと快適な睡眠環境を安価で提供したい」と考え、黒川紀章に電話してカプセルホテルの設計を依頼した[1]。1960年に柳宗理の椅子をはじめ、1970年の大阪万博で「太陽の塔」の顔や多くの椅子をFRP(繊維強化プラスチック)で製作していた株式会社コトブキが協力し、FRP製のカプセルベッド(製品名はスリープカプセル)を製品化して納入した。
「カプセル・イン大阪」は開業すぐの4月末には国鉄と私鉄ゼネラル・ストライキで満室となった。高度経済成長期に夜遅くまで働き、繁華街で飲んだサラリーマンは、終電に乗り遅れると、タクシーで帰宅するよりも安く、睡眠とシャワーを確保できる宿泊先としてカプセルホテルを重宝した[2]。旅館業法でカプセルホテルは簡易宿所営業にあたり、一般のホテルよりも営業許可がとりやすい。多くの企業が男性専用のカプセルホテルを展開し、1980年代後半には全国に500店舗を数えたという。
秋葉原のカプセルホテル、2006年11月2日。Capsules in capsule hotel, Photo by Peter Van den Bossche from Mechelen, Belgium, Wikimedia
1991年までコトブキはカプセルベッドの出荷数を伸ばしたが、バブル崩壊で低迷した。さらに国内全体のホテル市場は2008年のリーマンショックによる不況で落ち込んだ。しかし2009年12月に京都に開業したカプセルホテル「9h(ナインアワーズ)」にて、コトブキシーティングが曲面壁によるカプセルを製作した。SNSに映える内観と「シャワーと身支度に各1時間+寝る時間7時間=9時間」というコンセプトが外国人宿泊客の間で流行し、やがて日本人の若者にも浸透していきカプセルホテルのイメージを刷新した。
カプセルホテル朝日プラザ心斎橋、2009年8月4日。Capsule hotel asahi plaza, Photo by Peter Woodman from Seattle, WA, USA, Wikimedia
2011年の東日本大震災で621万人まで落ちこんだインバウンド数は、その後は急増し、2019 年に3,188 万人を数えた。今や株式会社ナインアワーズは成田空港や首都圏の駅付近に14店舗を構える。日本全国のさまざまなカプセルホテルの数は2019年7月に34,128室に達した[3]。かつてはサラリーマンの酔客が低価格で利用していたカプセルホテルは、Wi-Fiを装備したお洒落で機能的な宿泊先というイメージに生まれ変わった。トイレとシャワーは共用でも、プライベートな寝室は確保される。旅館業法によりカプセルベッドは家具にあたるため施錠はできないが、荷物を預けるロッカーや、男性客と女性客のフロア別の分離や、女性専用の建物が安全性に寄与している。朝食ビュッフェ、カフェやラウンジ、VR体験、書店のような本棚など、個性的な設備のあるカプセルホテルが登場した。
2020年のコロナ禍では多くのカプセルホテルが一時休業や閉店を余儀なくされた。感染対策を徹底し、リモートワークの需要に対応する店舗として、「パセラのコワーク」新宿南口駅前店が話題を呼んだ。ベッドを一時的に撤去し、上下二段のカプセルをつなげて天井の高い17の個室を提供した[4]。コロナが終わればベッドを戻し、客室数を増やす予定だという。新時代の生活様式において、今後もバリエーション豊かなカプセルの発展が期待される。現在は海外でもフェリーや宿泊施設にカプセルが採用されており、黒川紀章が予見した通りに、日本初の利便性を優先した機能的な狭小空間の未来型コンセプトは次第に世界に浸透していったといえるだろう。
資料
[1]日本経済新聞 2015年1月20日 関西発・はじまりの物語ニュージャパン観光 カプセルホテル 疲れ癒やす「宇宙船」
[2]日本経済新聞 2015年1月20日 極小の間、休まず変化 カプセルホテル(未来への百景)
[3]日本全国ホテル展開状況(2019年7月現在)
[4]東京新聞 2020年11月28日 カプセルホテル改造したワーキングスペース 簡易ベッド取り払い机、椅子
フェリー「ステナライン」のカプセルでくつろぐ乗客。2019年2月からスウェーデン船籍のフェリーに18床、ドイツ船籍のフェリーに26床のスリープカプセル「SPACE D」が設置された。これまでトラックでフェリーに乗り込んだドライバーはリクライニングソファで眠っていたが、カプセルベッドに宿泊するようになり、より深い睡眠が得られるようになった。(写真提供:コトブキシーティング)
ケプラー・トランジット・ホテルは2019年11月にトルコのサビハ・ギョクチェン国際空港に開業したカプセルホテルだ。カプセルは「スリープポッド」と呼ばれ、宿泊客は1時間7ユーロ、一日49ユーロで利用する。(写真提供:コトブキシーティング)
Capsule Hotel, Kepler Transit Hotel Sabiha Gökçen Airport.コトブキシーティングのスリープカプセル「SPACE D」28床が採用された。コロナ禍の収束後に14床を増床予定だ。(写真提供:コトブキシーティング)
リヒテンシュタイン公国のカプセルホテル、2020年2月15日。A capsule in the Capsule Hotel Luzern, Photo by Christophe95, Wikimedia
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